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​何物でもないページ

鏡の君、ここに記す、君の言葉が過去ログになって埋没しないために。

「君は僕か?」と問われれば、「そうだ」と答える。「僕は君か?」と問われれば「そうだ」と答える。
「君と僕は同一か?」と問われば、「そうだ」と答える。「君と僕は別々か?」と問われれば

「そうだ」と答える。
「君と僕は同一であり、同時に別々であることに矛盾はないか?」と問われれば、「矛盾はあるが、矛盾はない」と答えるしかない。正しいと思えば間違っているし、間違いだと思えば、あながちそうでもない事もよくある。存在していると思うと、それは錯覚である場合が多いが、かといって只の幻であろと決めつける事も出来ない。確かなことは

”すべては何物でもない”でしかない。

不立文字という見出し

​作者が普段思ったことを書き綴るメモ帳のようなものです。

不立文字とは、文字通り文字を立てない、正義や道徳などあまりに尤もらしい言葉には、人々は流されるから慎むべきだという禅の言葉です。そして文字を立てない代わりに石を立てたのが、石立僧です。ただ、僕は石を立てることにも慎重でなければならないと感じます。何らかの意図をもって石を立てたのなら、そしてそれを人々がくみ取って動いたのなら、文字を立てるのと同じです。僕はモノづくりが好きですから、何かしら作品を作っています。しかしこれも慎重でなければなりません。心が手を動かし物を作るのですが、物が手を動かし心を作ることはないからです。製作者が意図をもって主張を織り込んだならば、それは何かのプロパガンダとして利用され人々を先導することに使われるだけです。僕は自戒を込めてここにこの言葉を刻みます。

●僕は最近映画やアニメを見ていません。見ると考えすぎて夜眠れないからです。眠れない夜を過ごすのも人生には必要と思いますが、体力をそぎ落とされて他の事を出来ないのは僕としては困りますから。

■僕はいつも断捨離しています。世の中は幻と断定は出来ませんが、ほとんどの場合実体をつかむことは出来ません。あるのかないのか、わからないものを所有する道理は何一つないです。現象の一つとして眺め、もし仮にあるのならば時空間を共有するのみです。

●最初に書いた字と何度も練習した字のどちらが好きかと聞かれたら、迷わず最初の字を選びます。「今回うまくいったから、次も同じことができる」と思ってしまうと、行き止まりのような雑用になって魅力がなくなる。

▲僕の師匠は自然。自然とはすなわち、宇宙誕生からずっと続いているアルゴリズムであり、意図せず少しずつ更新・追加されていくもの。

■僕はもともと庭師でしたが、今は妄想家に転身しました。

●一般的に原因はなく結果があるのですが、結果があるから原因を探します。しかし、探しても見つからないことが多いです。ほとんどの場合は混沌とした動きをしているから自然なのです。無理やり何かに結びつけて理論を立てるよりも、わからないことはわからない、相関関係がゼロでいいと思っています。

▲人間は自我という言葉を知っているから自我を持っていますが、自我という言葉がなければ自我自体も存在しないでしょう。人間は理解できないことを嫌い、なんとか理解しようとする生き物です。その過程で自我を捏造したに違いありません。

 

●ゆっくり着実に進んでいけば勝ち、目的地にたどり着かなくてもいいのです。実は、この世に目的地などありません。

 

▲欲は無限、体は有限、有限なものを無限に費やしてはいつか破綻する。

■赤土はずっしりと重い。

●オーディオは自分の心を映す鏡。

 

▲隣の芝生が青く見えるのは、現実には隙間があるのに、斜めから見ると葉が重なり合って地面が見えなくなるからだ。

 

■苔は取るに足らないところに生えていますが、生やそうとしても生えません。

 

▲エントロピーの増大の呪縛から逃れられない。

■人々は岩に仏を、壁の汚れに幽霊を見出し、意味のない文字列に意味を見出す。

●チームは現在を支え、個人は未来を支える。
現在の世の中はあまりに複雑で、限られたリソースの個人では支えることが出来ない。従って、現在の社会を支えているのは、多くの知恵を有するチームである。一方個人はチームよりも自由な発想を出来るため、現在は役に立たなくても、100年後、200年後に世界を支える技術が生まれる事がある。

▲固い岩はくさびを打ち込めば割れるが、やわらかい岩はくさびを咥えこむので割りずらい。

車輪はなぜ回るのか?考える私もまた車輪

世界は意味のない文字の羅列に過ぎない。何か規則性はないのかと、考えてはみるが答えは見つからない。当然である。今まさに考えている我々もまた、意味のない文字の羅列、そしてその産物に過ぎないのだから。

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